- 製作
- 1992年 オーストリア
- 時間
- 118分
- 監督
- ウルリヒ・ザイドル
- 出演
- ポーラ・ハッターロフセップ・パウア
- 種類
- ドキュメンタリー
オーストリアとチェコスロヴァキアの国境の村に取材した、冷戦の終結の余波から生まれたドキュメンタリー映画。監督はウルリッヒ・ザイドル、撮影はペーテル・ツァイトリンガー。鉄のカーテンで封鎖されていた国境が開かれたとき、常に問題になるのは西側と東側の大きな経済格差だ。この映画の中心となる話題は西側に住む男やもめの老人セップが旧東側で後妻を探すことであり、そこにも経済格差というテーマが見え隠れしている。彼は独り暮らしに飽きて家事をしてくれる女性を探しており、それには東側の女性のほうが安上がりだと考えているのだ。出演者はすべて実際に現地に住む人々で、セップとポーラの結婚話も当時実際に進行していたものであり、映画製作者の側でも2人がどうなるのか最後まで分からなかったという。だが同時に、彼らが自分たちの話をカメラの前で演じていることも明らかだろう。映画はこの2人の話を口実に、国境を挟んだ2つの村の人々の生活をドキュメントしてゆくが、村人たちを追いながら屋外と室内を自由に往来するカメラワークにも、人物をその生活環境のなかで捕らえようというドキュメンタリー的な意図と同時に、その流麗な動きと映画全体を貫くスタイル的統一感には演出の手が感じられる。この全体をヨーロッパの冬特有の重々しい灰色の曇り空と、とぼけたユーモアの感覚が覆っている。これはドキュメンタリーと劇映画の境界線上にあって、人間性についての寓話を語ろうという野心を持った作品だといえるだろう。1993年山形国際ドキュメンタリー映画祭優秀賞受賞。1992年の冬オーストリアのチェコ国境付近に暮らす男やもめの老人セップは、そろそろ再婚したいと思いはじめていた。字幕が挿入され、その理由は「前妻が作って冷蔵庫に保存されていた食料のストックが底を尽きかけていたから」と説明される。セップは以前から国境の近くを通るたびに気になっていた、チェコ側の国境のすぐそばに住む未亡人ポーラと結婚したいと思いはじめた。ポーラのほうもずっとひとりで暮らしてきたが、裕福な西側のセップと暮らすことにそんな悪い気はしない。2人は友人につきそわれて見合いをし、次第に親しくなっていく。ポーラは西側のセップの家にいき、以外と身ぎれいだと好感を抱く。ポーラの友人のチェコ人の主婦たちは、とにかくセックスしてみないといいか悪いかわからないと彼女をけしかける。2人はオーストリアの街にデートに行き、ホテルのバーで若者たちに混じってダンスをし、遊園地の鏡の間で無邪気に楽しみ、街のセックス・ショップでポルノ・ビデオのパッケージや性的玩具を見物する。この物語に合わせ、国境を挟んださまざまな人々の生活の模様が紹介される。電化された西側の家庭の家事。東側では昔ながらのやりかたで豚を解体し、斧で鶏をしめている。東側の独身の初老の男は集合住宅の古びた屋根裏で暮らしており、このみじめな家もすべて共産主義が悪いと悪態をつく。彼はまたカメラを向けられると、ラジオの音楽にあわせてストリップを始める。西側のリゾート・ホテルのパーティでは女がストリップを披露している。東側の主婦たちは会うたびにセックスと料理の話で盛り上がる。ポーラは結局セップの求婚を受け入れなかった。